地域文化の発展に力を尽くす。
平塚市25万人のふたりにひとりが美術について語り、又音楽や芸能その他の様々な文化活動に興味を持ち、
日々の生活に潤いを与え、楽しく心豊かに過ごすことが出来たなら、どんなに素晴らしい事でしょう。
人々の思いが持続し継続されて行かなければ、文化の発展と向上は在り得ないのです。
粘り強く活動を続けて行く事が大事だと思います。
それでは、具体的に何をすれば良いのか? 具体的に何ができるのか?
先ずは私個人として出来る事は、個展などによる作品発表を行い私自身の意識や考えを知ってもらう事。
又、絵画教室の開催や絵画技法の普及に勤め更に催事の企画、運営などにも携わる。
私が現在行っている絵画教室は、今もっとも新しい絵画材料のアクリル絵の具を使って50種類を超える絵画技法を
地域の人達に伝えています。ひとつひとつの技法を習得し作品を仕上げていく喜びは、何にも増して素晴らしいもの
です。絵画に親しむ人達をひとりでも増やしたいと思っています。
次に美術団体として何ができるのか? 組織として何を行ってゆけばよいのか?
私が現在所属している湘南市民美術会ではホームページの活用を始めています。展覧会の様子や作品。
事務局からの連絡。そして、今年6月には「湘南市民.COM」を立ち上げました。このページは名刺広告を掲載し、
その広告料は、美術・音楽等、芸術・文化の交流に役立てていきます。
わずかな金額の広告料ですが5人、10人、100人と掲載者が増えれば、絵画の国内外の交流展や演奏会に
充てる事ができる資金となります。
又、個人では出来ない人的資産も団体・組織にはあります。各方面に秀でた人達の集団です。大掛かりな活動を
しても容易に事が運べます。個人には難しい物が、事もなげに出来てしまいます。
更に、商店や企業が出来る事では、個人商店も参加して街ぐるみ・地域ぐるみの展示が可能です。
例えば、子供・ベビー用品店は童画や絵本の原画展。ブティックならば、フランスやイタリアの風景画展。
ガラス食器や陶器のお店には、洒落た静物画と言った様に、数多くの組み合わせが可能です。
ギャラリーや画廊がその活動の中心になって行えばよいのです。尚、企業が出来る事もいくつか有るように思います。
美術・音楽等、文化支援助成金はもとより、会社の中で使用しない空間、空き室を地域の人々に無料で貸し出しをする。
利用する人達や、グループは展覧会を催し、その案内状や印刷物に会社案内や、広告文、つまりPR文を掲載する。
そうする事で企業は地域に貢献でき、地域の人々はその会社の在り方を理解することが出来る。
又、大きな企業は敷地内に広大な庭を所有している。これを利用しての野外彫刻展も可能である。
普段、美術に興味が有り、美術館等へ足を運ぼうとしても、勤務時間中に美術館などは閉館してしまうのが現状である。
そうであるならば、こちらから出向いて展示をするデリバリーエキシビジョンを企画する事が可能である。
期間は1ヶ月間程度の展示が望ましい。
又、使用していない工場内の大空間を利用して、大学生らによる、現代美術のデモンストレーションも出来る。
更に少子化による生徒数の減少は小・中学・高校・大学の空き教室を発生させている。その空き教室を使って、
絵画・彫刻・工芸・書等を展示し、生きた教材として後進の育成と美術への認識を深めて行く事が出来る。
様々な事を模索し、試みて行く事が今の私に課せられた命題だと思っています。
14歳で画家を志してから40年近い歳月が流れました。20代初めに東京銀座で第1回目の個展を開催し、
20代中途には上野の美術団体で運営委員をしたり、応募作品の審査をさせてもらったり、30代後半には、
ドイツ、デュッセルドルフでの海外初個展を開いたりもしました。駆け足で通り過ぎた30年間の様な気がします。
41歳で画材とギャラリーの店を、この平塚の地に開店して、今年10月で満11年を迎えます。
この間に企画した展覧会に湘南地区、のみならず他県からもたくさんの人達が参加されました。
誰でも気軽に参加出来る様にと、作品サイズも小さな物からスタートしてみました。毎年、年始めの1月には年賀状展
を開催しました。サムホール展や小さな展覧会と称した7.8名参加するグループ展。手造りの品々を持ち寄って、
平塚市立図書館へ美術図書寄贈チャリティー。7年間続けた作品サイズ限定のF6号展、更に抽展や動く彫刻展。
私自身としては、切り絵展、アクリル画展を平塚市美術館にて発表してきました。教室も油彩画・水彩画をはじめ
陶芸教室まで14クラスを設け、これを11年の間運営を行ってきました。
但し、長く物事を続ける事は伝統を生むけれども反面マンネリ化も発生する。これを打破する為に、昨年から今年に
かけて全教室を解散しました。又、8年間続けてきた「月刊アートニュース オクトくん」も廃止しました。
山登りする時に、少しでも道を間違えたと感じたらすぐにベースキャンプにもどり、別ルートを探して再度頂上を
目指す事も、運営・経営をして行く上でも、とても重要な事だと思います。
新たな門出を検討した結果、自らが教え、自らの考えを、地域の人々に直接伝えて行く事が、美術に対する責任を
果たせると感じ、若林薫アクリル画サークルとデッサン会を開いています。現在130人程の人が両方に参加しています。
両教室とも少人数5名の定員で申込による編成となっています。生徒さんの都合と教室の日程と空き状況により参加
出来、無理なく続けることが出来ます。
フレックスや休みの定まらない仕事が多い、最近の社会時間の動きに対応出来る教室にしました。
走りはじめたら、ゆっくりでもいいから止まらない事が大切です。
40歳の時、フルマラソン42,195qに出場した事を思い出します。完走する事は容易な事では無いけれど、
走り終えた時の感動は身震いする程です。目的に向かって日々努力して行く事は、この長い道のりを走り抜く事に
よく似ています。はじめの5qや10qは誰にでも走れます。20qを過ぎ30qからが一番の難所です。
自分自身が絵を通じて地域文化の発展に力を注ぐと決めた時、それは42,195qのスタートラインに立った事に
なります。道中途で走り止める事は出来ません。一歩一歩、歩を進め、ゴールラインをまたぐまでは走り続けていきます。
私の祖父は日本で最初に狸の養殖で毛皮の輸出をしました。人造毛皮が出廻りはじめると今度はアヒルを数百羽
飼って、ニワトリの卵よりひとまわり大きな卵を、商店やスーパーに卸していました。父の代になってからは、
母が胡麻豆腐の製造を始めました。私の故郷大分では仏事用として食されていた物を通常の豆腐同様、スーパー等で
販売しました。これは自らが常識を打破し新しい常識を創り出したものと言えます。
大げさに言えば革命です。胡麻豆腐を日常に食する事が定着し地域に新しい常識と食の文化が誕生した事になります。
母はとてもアイディアマンでマネジメントの上手な人です。父はそれ程器用な人ではなかったけれども、物事に真正面
からまじめに取り組む実直な人でした。母のアイディアを父がまとめる二人三脚の二人を見ながら育ちました。
自分自身がこう有りたいと願う事は、そのまま、世の中が欲する事であると言っても過言ではないと思います。
世の中の動向や情報を素早く処理しそれを形にしていく事。人が気付かないこと、人がやらない事を見つけ出し、
形にする事。新しい物を創り出す事。これは子供の頃の生活環境が今の私を創っているのだと思います。
ここに私の一遍の詩を紹介します。
50億年燃え続けた6000度の光球は
大地を照らし
蒼き三日月は
漆黒の闇にひとすじの光を射す
草木は萌え 花は咲き 鳥たちは歌い
風はそよぎ 人は額ずく
それぞれに生まれ来て
それぞれに去り行く
いかに生き いかに生きるか
今 ここに生まれ
燃え尽きるまでの狭間(あいだ)に
生命ある全ての者達よ
永き眠りに就く前に
何の為に絵を描き、何の為に創作活動を続けるのか? 「自己の思想や哲学を広く世界に伝える為」
それは何に役立つのか? 「自己を見つめ平和を希求する心につながる」
それには個人個人の意識の高まりが不可欠です。夢を形に、理想を現実のものとしていく情熱が必要です。
一地方の平塚から全国へ向けて新しい美術の動きを発信するにはこの地域で出来る事は何なのかを見直し
再確認することです。
平塚市内には数多くの美術団体やグループ、教室、サークルがあります。この人達が一堂に会し、美術運動の
大きなうねりを興せたなら、きっと地域文化の向上が計れ地域の活性化につながり、次の世代へと受け継がれ、
更なる発展が築かれて行くと確信しています。 若林 薫
2005年10月 株式会社 合人社計画研究所発行 ウェンディ(この人に注目)原稿より
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